徳の分だけ

 

私の亡き祖母がよく言っていた。
 みんな生まれながらにしてお与えがある。
ちゃんとお与えの分だけ食べられる。
そのお与えとは、その人が持って生まれた徳。その徳の量も決まっている。使うタイミングは人それぞれ。
早く亡くなってしまう人は、自分のお与えを全部使ってしまったから。
お婆さんは、まだ徳が残っているから90過ぎてもまだ生きとる。
いい事をしておきなさい。人の為に尽くしなさい。そうすれば、自分も幸せになれる。

 じゃあ、子どもは?
子どもは、子どもの徳がある。人の為に・・・なんて思わなくても、もって生まれた徳があるから心配せんでええ。親は、子どもに、してやっているんじゃない。
神仏様に代わってその子の徳を与えているだけ。その子の徳でご飯も食べられるし、遊びにも行けるし、習い事だってできる。
全部、子どもの徳で。
だから、何にも心配せんと一生懸命に子どもを育ててやれば良い。
 
 じゃあ、赤ちゃんは?
唯一無二の可愛い存在。その存在だけで周りの人を幸せな気分に笑顔にしてくれる。
何もしなくても、ただそこにいてくれるだけで気持ちが和む。
赤ちゃんは、その存在だけで徳を積んでいるんじゃ。 
親は、その子の三才までの可愛かった思い出でずっとその先を育てることができるんじゃ。・・・と。
 
 では、私の徳はまだ残っているの?
まだ生かせてもらっているということは、残っているという事?
いつの良い行いがいつ返ってくるの?特に最近いいことなし!色々としてるつもりなんだけどな~
全然ついてない。
あっ!やっぱり私は、計算高いわ~。そんな事を思って良いことをしてもお天道様はお見通しね!
そんなんじゃダメだよねー。心が汚れてる。
 
 少し前に読んだ本を思い出した。喜多川泰さんが書かれた 『運転者』だ。
運は、「いい」か「悪い」で表現するものじゃないんです。「使う」「貯める」で表現するものなんです。
ポイントカードのようなもので、今 運の良い人は、貯めたポイントを使っているだけ。
でも、それは自分の貯めた運ではなく先祖が貯めくれた運かもしれない。
逆に運が良くないと思っている人は、それを貯めている途中。
それは、自分の為のポイントではなく子どもや孫そのまた先の子孫のため。
先ずは、自分がいつも上機嫌でいる事。上機嫌の人には、たくさんのチャンスが降ってくる。と。
 
 なんだか、「徳」と「運」は、よく似ているように思えてきた。徳がある=運を使っている。
今の私は、収入は無く、家族に食べさせてもらって、店の事を教えてもらっている。
生活に本当に困っていたら、こんな選択肢はまず無し!
ちゃっちゃっと働きに外に行くべし!となる。
でも、私は、ご飯が食べられる。雨風しのげる家もある。家族もどうにかみんな元気でいてくれる。
この店を続けたい思いだけで、家族に甘えて、、、違う!
きっと、先祖が貯めてくれたポイントを私が今使わせてもらっているんだ!
毎日ご飯を美味しく食べられる幸せ。先祖が貯めてくれたポイントのおかげで収入もないのに食べられる。
でも、ポイントは使っているからドンドン減っていくばかりだ。
 
 私も、自分の子孫の為にポイントを貯めていきたい。いつも上機嫌で笑顔でいよう!
そのほうが、自分も周りの人も気持ちが明るくなって楽しいに決まっている。
自分に出来る事を、とにかく精一杯やろう!
それが、私に出来る先祖へ供養になりますように。
頭の片隅にいつもいる不安の虫が消えてくれる事を願って。